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神奈川県ひきこもりサイト「ひきすた」(たぶん「らきすた」のパロディ)と「ひきこもり新聞」のパロディ「シン・ひきこもり新聞」。決して悪ふざけサイトではないつもりです。

ひきこもり新聞の醒めた感想ブログ&漫画ブログ

「初の引きこもり当事者による新聞発行!」を言いながら、ネット上にある既存の「ひきこもり体験の発信・交流する場」と大差がない、「同工異曲」「異曲同工」という感想です。大同団結と称して批判を書けない雰囲気や、一部の勝ち組ひきこもりだけが得をする構図への危機感。ひきこもり新聞サイトへ直接意見するのは「さえん」(広島弁)。批判意見すらも「自分達の手柄やコンテンツとして利用してしまう」のが、ひきこもり支援のリアルなので独自ブログを。

ケア-ま心を君に

(正式タイトル)ターミナルケア-魔心を君に

どうしても、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長にとっては、キツイかもしれないことばかり書きちょってしもうたから、ここでは、なるべく穏やかに温かく書こうと思うんじゃ。すこしでも穏やかに温かくなるよう、漫画原作のアニメ映画『この世界の片隅に』の癒し系の主人公すずさんの口調(でも広島出身じゃないから、当方キチピーブログ主のエセ広島弁)で書くけぇね。

いきなり中島みゆきの真似事は無謀

ひきこもり新聞の創刊号に掲載されている、木村ナオヒロ編集長の言葉は、なんとなく中島みゆき風の「温かく勇気を与える言葉」を模索して、お通じが悪い日のトイレでの格闘のごとく、ウンウン唸ってヒネリ出している感じじゃ。もちろん便意いや悪意は無い思うんじゃけど、「背伸びしている感」が痛々しいねぇ。10年ひきこもったくらいで--しかも通算で10年じゃけぇ、ほいで部屋から一歩も出れずに親とも会話できんガチな引きこもりではのうて、「半年以上が云々」という、緩い定義をしておる、いわゆる「社会的ひきこもり」で、コミュ障で学校・職場でボッチだった訳でも無いのに、そんぐらいの辛酸では中島みゆきには勝てんと思うけぇ。

ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長の場合、神戸大に入れるだけの学力と、神戸大を卒業できた高学歴が災いして、プライドの高さを刺激して、コミュ障でボッチでもない人が、浪人という人生のつまづきで引きこもる結果になったんと思うのじゃけど、中島みゆきの出身大学である札幌の「藤女子大学」の現在の偏差値を知ったら、さぞや優越感に浸れるかも知れんね。ほじゃけど、偏差値だけで人間の全ては評価しきれんいうことじゃけぇ。

中島みゆきさんの歌でふと思い浮かんだんが、たった今まで自分の中では、「中島みゆきらしくない」(NHKの中島みゆき特集番組によれば、当時売れっ子の子役の安達裕美主演のドラマ「家なき子」のために「犬の視点で作れ」とかクライアントから注文を付けられて作った曲らしいんじゃ)ので、あまり名曲とは思っていなかった『空と地上の間に』じゃなくて『空と君の間に』の歌詞じゃ。「プロジェクトX」のテーマ曲『地上の星』とこんがらがってしもうた。
君が涙のときには 僕はポプラの枝になる」ってな、誰でも言えそうな出まかせフレーズの後に「孤独な人につけこむようなことは言えなくて」と書かれちょるんじゃ。
つまり「君が涙のときには 僕はポプラの枝になる」などと「孤独な人につけこむようなことは言えない」ってことかいね。深いねぇ。
ポプラは街路樹や、中島みゆきさん生誕の地・北海道の広大な農地を区切るのに植えられたりしてるのじゃけど、枝が横に伸びない、長細い樹形じゃから「雨宿りには不向き」そうじゃし、台風とかでよく倒れるそうじゃ。じゃから並木で植樹されちょるし、1本立ちのポプラというのはあまり見ない。でもポプラを知らない人や、孤独に傷つきまくって思考力が低下している人なら「木なら何でもいい」と思うかもしれん。
ひきこもり新聞創刊号の木村ナオヒロ編集長の言葉は何となく「君が涙のときには 僕はポプラの枝になる」ってな内容で、悪意は無いのじゃろうけど結果的に「孤独な人につけこむようなことを言っている」気がするんじゃ。悲しいねぇ。
そげな小細工よりも、中島みゆきの『空と君の間に』の歌詞にある「君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる」っていう覚悟を宣言してほしかったねぇ。もちろん犯罪に走られては困るのじゃけど、例えば、ひきこもり新聞発行を通して、どんな批判を受けようとも、それを受け入れるという意味での「君が笑ってくれるなら、僕は『悪役』にでもなる」という形の「不言実行」でもOKじゃ。期待しちょるけんね。ほじゃけど、まさかとは思うけど、人様のブログの文章や、音楽家の歌詞を勝手にパクったらいけんよぉ。
その辺は、単なる無名ひきこもり当事者の体験記・手記の掲載のみならず、式典で「もらわないとお偉いさん方が困るから、もらっといてやる」との名言を残した芥川賞作家の田中慎弥氏のインタビュー記事を載せる等、あからさまな紙面の充実が図られるのと期を同じくして、例の「超応援価格1部1万円」の設定じゃけぇね。おまけに「無料のWEB版には載せず紙版でしか読めない記事」であからさまに内容の差別化も図り、紙版の内容をPDFファイルで「有料ダウンロード」できるそうじゃ。ほいでカード決済にまで対応しておるそうじゃ(クレジット・カード持ってる引きこもりは、かなりの少数派じゃ思うちょるけど・・・)。

なにやら、ひきこもり新聞は「情報商材」臭くなってきたねぇ。

中島みゆきさんの大ファンの方に怒られそうじゃけど、このタイミングで『空と君の間に』の歌詞の「2番目」も聴き直したら、1番とは違い、完全に犬の視点は無くなり「クズ男に傷つけられた女性を温かく力強く応援する歌」なっちょるけぇ、犬視点の1番の歌詞よりも、がぜん深みが増しちょるねぇ。「2番目」は「どうせテレビドラマ『家なき子』では流れんじゃろ」って計算じゃろね、中島みゆきさんは流石一流のプロじゃ。道理で、さだまさし氏が「自分は中島みゆきを超える事ができない」と嫉妬するわけじゃ。

「君の心がわかる、とたやすく誓える男に なぜ女はついてゆくのだろう そして泣くのだろう」・・・か。

「君の心がわかる、とたやすく誓える男に なぜ引きこもりはついてゆくのだろう そして泣くのだろう ・・・などといらぬ想像をしてしもうた。
だって、ひきこもり新聞の創刊の言葉で編集長の木村ナオヒロ氏は、仮に悪意が無かったとしても「君の心がわかる、とたやすく誓える男」を演じてしまったけぇ。ひきこもり新聞の仕組み自体に、一部から「障がい者の肩書きをエサに好き放題に振舞う、食わせ犬が絡んどって、ピュアな引きこもりが傷つくだけの仕組み」との醜聞も認識しておるけぇ、それが自分の別の場所での体験とも重なって、非常に説得力をもって聞こえてしまうんじゃ。
まー、このままの内容じゃと、ひきこもり新聞の営業妨害と騒がれよるけぇ、エールを贈っちゃろう。

「君がすさんだ瞳で強がるのがとても痛い 憎むことで いつまでもあいつに縛られないで」

これも中島みゆきの『空と君の間に』の「2番目」の歌詞じゃ。「あいつ」とは『空と君の間に』の歌詞世界では「元彼」の事を指しちょるのじゃけど、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長の人生に当てはめれば、家に警察を呼んだ親とか、親を連想させる「伊藤学校の引きこもり支援手法」というわけじゃ。それらを憎むことで「すさんだ瞳で強がる」状態なのが、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長というわけじゃ。
なお「とても痛い」というのは、『空と君の間に』がリリースされた1994年頃には、現在のような「あいつは痛い奴だ」とかの「相手を軽蔑する意味合い」は無かったと思うけぇ、単に「痛々しく思えて哀れだ、可愛そうだ、というピュアに相手を思いやる、相手を心配する気持ち」じゃったと思う。そしてブログ主も、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長を「痛い奴」とまでは軽蔑していないけぇ。ただ周囲の「盛り上げが過ぎると」、木村ナオヒロ編集長は他人の分の憎しみまで背負い込む破目になり精神破綻してしまわんか心配という訳じゃ。

とても怖い引きこもり業界(ひきこも社交界?)

自分は引きこもりだから仕方ないとか、障がい者だから仕方ない等と言い訳して、他人の気持ちに鈍感な人間が集まってしまう、恐ろしい構図が生まれるリスクが、引きこもり系の人が集う場所には常にあると思うよ。ましてや心理系の専門家が居ない状況では尚更じゃ。実際に恐ろしい構図への触媒となる「食わせ犬」がウロウロしているとの情報もネットで見つけたけぇ、純粋に心配じゃし、あまりに怖すぎるから私は「ひきこもり新聞の中の人には成りたくない、関わりたくない」と思うのじゃ。心配じゃけど、私には荷が重すぎるけぇ。そこを「大丈夫だよ」「出来るよ」とか無責任に焚き付けてきて、問題が発生したら「海パン一丁・細マッチョ」の芸人「小島よしお」の「オッパッピー」ソング(2007年の流行語候補)の如く

「♪君が傷ついても~自己責任だから~そういう居場所なんだし~オレそんなの関係ねぇ!~オレそんなの関係ねぇ!~オレそんなの関係ねぇ!~ハイ庵ハッピー!」

これが引きこもり社交界のブラックパロディ1コマ漫画だ。解釈はご自由に というのが「食わせ犬」の特徴じゃけぇ。これが遠くから見守る事しかできんウチからの、せめてものヒントじゃ。ヒントからネット検索してサイトを見れば、「よさげな言葉をヅラヅラ並べちょるけれども、誰も責任をとらなくて良いユルイ居場所(ぶっちゃけ2ちゃんと同じやろソレじゃ。いや、面が割れて、個人情報も飛び交うだけに「2ちゃんよりも、もっと~もっと~リスクがどデカイんでは?その引きこもり社交界とやらは)=一番弱くてピュアで利用されやすい性格の者は必ず人柱にされる恐ろしい場所」だと解るけぇ。
親子関係に不具合があった場合(機能不全家族)、大人になっても「愛着行動」(親から関心を得るために、自分の不快感情を無視してまで親に笑顔を見せる等の「私をかまって・私を愛して行動」)が抜けていない大人は、親意外の他人に対しても、誰かれ構わず「私をかまって・私を愛して行動」を取ってしまうけぇ、あっという間にズルくて冷酷な人間から餌食にされるんじゃよ。「ひきこもりが安心していられる居場所ですぅ」等と宣伝している場所かて安心できん。

「元ひきこもりだから、ひきこもりの気持ちがわかります!?」。それは「ただの社会不適応者が、仕事をデッチ上げて無職でない体を気取りたいだけ」の場合もあるから要注意じゃ。「ひきこもりは、ひきこもりとばかり群れている限り、本当の意味では社会復帰できない」とも言われているけぇ。
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(C)ひきこもり新聞から引きこもりを守る党   無断盗用等したら幸薄かろうが、この世からあの世から、容赦なく運気吸い取りまくるけぇ覚悟しときぃ~