【ご注意】「支援者」を名乗って活動する人の中で、穏健派を装って「ひきこもり経験を生かそう」と口走る系「にも」ロクな人が居ない傾向が有ります。「支援者」の無神経さに嫌な思いをするリスクは充分有りますので、社会人の理解者の方は「支援者」の敷いたレールに漫然とご乗車するのではなく、独自路線の開拓の視点もお持ち頂ければと思います。なお「社会の為に利益を公平分配」等の左翼臭い文言を悪用した「支援者」による、人様が作った独自路線のタダ乗り・奪取行為にご注意下さい。
○○先生の漫画が読めるのは「紙版」ひきこもり新聞だけ!!・・・?
ひきこもり新聞掲載の4コマ漫画は、無料で読めるWeb版にしばらく掲載されていなかったので、まるで集英社の漫画雑誌
「少年ジャンプ」のキャッチコピーみたいだな、と思っていたのですが、最近、無料で読める「Web版」ひきこもり新聞にも4コマ漫画が転載されたので、ひきこもり新聞は「ジャンプ商法」ではない可能性が出てきました(なお、芥川賞作家・田中慎弥氏へのインタビュー完全版などの、お金を取れそうなオイシイ感じの記事は、ひきこもり新聞Web版で無料開放されるとは思えませんが)。
ひきこもり新聞の4コマ漫画「
こもりん。」の内容は、当ブログで残念ながら書くに至っている「ひきこもり新聞」の怪しげで恐ろしげな側面とは真逆の内容です。最初は
「こんな漫画を描ける繊細な人が、ひきこもり新聞 なんか と関わって精神崩壊しないか?大丈夫か?」と心配していたのですが、
「ひきこもり新聞記事への批判を、同紙公式フェイスブックに投稿したら意図的に消されたかも知れない。それなら新聞による言論弾圧だ」と立腹されているブロガーさんが「編集部員、記者の名前はわたしは分かります」と釘を刺し
列挙された5名の編集部員の中に、ひきこもり新聞の4コマ漫画の作者さんの実名ないしはペンネームが含まれているため、
「ひきこもり新聞と関り続ける事が出来る4コマ漫画の作者さんは、実は描かれている漫画の内容とは真逆なメンタリティなの?」「うかつに作品だけで人となりを判断してしまう行為は非常に怖いな。こういう漫画を描ける人も居るからって、精神的に無防備な状態でひきこもり新聞に関わったら、とんでもなく痛い目に遭わされるんでは?」と、ガクガク、ブルブルと、恐れおののいている次第です。
ああ、矢張り「お金の出所」が怪しいく見える
ある
ブログさんへの匿名のタレコミ的コメントの内容を引き合いに出さずとも 「お金」に着目すると、ひきこもり新聞は怪しい不思議が沢山有ります。
新聞報道1:タブロイド版8ページの
ひきこもり新聞の制作費用は木村ナオヒロ編集長が負担(第1号は2,000部印刷。ひきこもり当事者価格100円=原価とすると1号発行するたびに20万円の持ち出し?)。
新聞報道2:東京都・世田谷区の自宅・兼編集部「マンション」の家賃(
ワンルームでも世田谷区三軒茶屋の家賃相場は
8万円~)も(誰かが)負担している」
2016年つくば市議選の選挙費用も自分で負担(市区議会議員選挙の
供託金は30万円。他にポスター印刷代なども掛かる)
真偽のほどは不明ですが、上記のように列挙して見ると「
ひきこもり新聞は、政治、宗教、お金に関して疑問がある」などと書く自称ライターの方が出てきても不思議はありません。
しかも「10年ひきこもり」で「就労経験への言及が無い」事からすると、これらの費用を木村ナオヒロ編集長が自身で稼ぎ出す事は困難です。家がお金持ちなら親が出してくれるという線もあり得ますが、「
両親とは別居が続いている。」との報道表現からは「親子仲は芳しくない」ご様子が窺え、
その状態からの地元茨城から東京都・世田谷区への引越しで、2ヶ月に1度のひきこもり新聞発行代のほかに世田谷区のマンション在住による毎月10万円程度の家賃も発生します。さらに「4月から都内の「写真の学校」に通学し」ているので学費も掛かります(学費くらいは仲の悪い親でも出してくれるかも知れませんが)。
月割りで毎月20万円以上と思われる活動費と生活費をどうやって工面されているのか、なかなか怪しい不思議さです。
精神科に掛かり精神障害者ならば自称ひきこもり名人こと「勝山実」氏の様に「障害年金」の受給も考えられますが、新聞発行や、選挙に立候補するなどのアクティブ・ヒッキーな方が「精神病・精神障害者」として受給していれば詐病と謗られるでしょうし、そもそも「月6万円代」の障害基礎年金で賄える金額ではありません。
障害基礎年金よりも多い保険金をもらえる障害厚生年金でも毎月の出費を賄えないでしょうし、そもそも障害厚生年金は「一定の所得が生じる状態で雇用されていないと加入できません」し、そうなると「10年間ひきこもりである点をマスコミに強調しておき」ながら「実はバリバリ働いていた」という風に経歴を不正確に申告しているとの疑念も生じてしまいます。
「バリバリ働いていた方」でも、人間としての器が大きく、人間が出来ていれば引きこもりを中傷せずに、ひきこもりに寄り添う支援活動はできます。しかし、「10年ひきこもりである点をマスコミに強調しておかないと」ひきこもり支援の社会起業家を標榜できないとしたら、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長は残念ながら、そういう方ではないのかも知れません。
こうなると「ひきこもり新聞」自体が、ひきこもりの救済とは真逆の目的で作られ、
「ひきこもり支援や、ひきこもり本人のイメージ悪化を画策した何者かの陰謀」「これまで養っていた親が死に、高齢化する引きこもりを生活保護等の社会福祉で救いたくないと思う人々による陰謀ではないか」とすら思えてきます。
ああ、矢張り「一発逆転」狙いですか
WEB版ひきこもり新聞の芥川賞作家・田中慎弥氏へのインタビューで、
前回の記事の続きから考えると、
次回の記事も木村ナオヒロ編集長がインタビュアーだと思うのですが(そう解釈されたくなければ、誰がインタビュアーをしたのかを書くべし)「
自分も昔そうだったのですが、人生一発逆転するために小説家を目指している方に何かアドバイスをお願いします。」とあります。「昔は?」。精神科医の斎藤環氏に「
ひきこもりは連帯すれば一発逆転出来る」(&批判されても続けろ、
したたかにやれ)と言われて、ひきこもり新聞を創刊し、その直後「ひきこもり新聞編集長・木村直弘」という肩書きで
2016年つくば市議選への立候補・・・果たしてひきこもりが連帯した場合「
連帯した全員が一発逆転できるのか」それとも「
一発逆転できるのは、例えば『ひきこもり新聞』の中の人などの連帯を呼びかけた『上位の一握り』なのか」、読者様はよく考えてみる必要があると思います。
小説家を目指すとか、普通の就職活動をするとか、個人の自営業として仕事の営業をする等の自己完結型の「一発逆転」狙いの生き方には特に文句を挟む理由もありません。しかし、何やら支援風を吹かせつつ、
コッソリ人様を巻き込み、その成功報酬は一部が独占する感じの「一発逆転」狙いというのは、心に引っかかりますなぁ。
ひきこもり新聞の取材に応じた田中慎弥氏の芥川賞小説は『
共喰い』。ひきこもり界隈では、戦闘能力が拮抗している者同士の共食い合戦ではなく、食う気満々の食う側と、ひたすら無気力な食われる側が、ハッキリと分かれているのに、「同じ引きこもり同士だから団結せよ」「団結にケチつける奴は非国民」という感じの、実におぞましい吹聴と
偽装が行われているような気がしてなりませんなぁ。
「届け40代中高年ヒキの声」~職歴なし無職という現実から逃避して笛吹く32歳「元」ひきこもり編集長とキケンな仲間達
ひきこもり新聞 @hikikomori_news 3月1日 3月号が完成しました!
ひきこもり新聞的な、しかし
ひきこもり新聞以外の「別の何かの存在の必要性」は感じるけれども、ひきこもり新聞を全肯定する気にはなれない。
「
中高年(40歳以上)の(中略)ひきこもり当事者の悲痛な声が社会に届くことを期待」と書いてあるが「期待」とは願望でしかない。
「新聞発行」以外の何をする訳ではない。結局、ひきこもり新聞は、ひきこもり当事者と親しか読まないから「声が社会に届く」ことに「期待」するという他力本願の道でしかない。木村ナオヒロ編集長の神戸大学より偏差値が低い私でも思いつく事はあるけど、営業力が無さ過ぎる。
しかし、ひきこもり新聞の中の人も迂闊なアイディア進言は出来ないだろう。「じゃあ君が全部やって」という展開が目に見えているから。「
ひきこもり社交界」の人々は、自分がババを引かずに、他人が引いてしまったババに徹底的に漬け込む術を知っているはず。
それを知らない初心者が「人柱、餌食、捨て駒」にされて、ひきこもり新聞の創刊動機にして批判ターゲットである「暴力的な支援業者」の被害者の如く、ひきこもり新聞との関わりによってPTSD等を発症しない事をただ祈るのみ・・・無力な私にはそれ位しか出来ない。
※『ひきこもる女性たち』(ベスト新書)より:
「ところが私の知るその女性についていえば、20代のころから40代後半になる現在までずっと、「怖くて働けない」と言い訳のように繰り返しながら、どっぷり両親に依存しているのである。」・・・と、「暴力的な支援団体をヒーロー扱いする報道を許さない」とのBPO審査要求の記者会見に出席し「自称・ひきこもりの良き理解者の体裁」で本を書いてる某ジャーナリストの本音は
「記者会見で批判した伊藤学校などの更生業者が持つ『引きこもり蔑視』の視点と何も変わらない件」がダダ漏れで書かれてるゾ、自著に・・・
※
例のアレは「面白くて無害な発達障害の人では断じてない」。「萩本欽一さんは自身が作った「パジャマ党」(放送作家の志望者を萩本宅で養う)について「こうした人たちを集めて食わせられるの?」と聞かれ「彼らが僕を食わせてくれるんです」と答え、
Kさんも支援者という立場ではなく、(ひきこもり)当事者の感性の鋭さを社会的な活動に生かし、
自分(Kさん)の生活を支えてほしい。「食わせてくれる人がいたら、声をかけて!」と語りました」。謙遜としての「本当は食わせてやる」という意味じゃないからね。「ひきこもりの連中よ、俺を食わせてくれ」は本気だから。脳系の障害者だから謙遜は言えない。こういう手合いにホイホイついて行ったら精神的に死ぬぞ?
食われるぞ? 骨の髄までしゃぶられるぞ? マジで!! 仮に貴方が日頃「自分なんて価値のない人間だから好きにして下さい」等と思うことでプライドを保っていたとしても、自分の命と心の安売りはどうかやめて下さい!!
※あと「
ひきこもり社交界」って何?・・・冗談のセンスを疑うし、ひきこもり新聞に載せちゃうのも・・・「
社交界(しゃこうかい)」とは、王族、貴族、上流階級の名家などの人々が集い、社交(交流)する場のこと・・・ひきこもりの地位向上と自信回復、あるいはプライドの高い引きこもりをおだてて引き出したいのかも知れないけども、「社交界をやれるのだから、やはり引きこもりの家って裕福なんだ」という世間のバイアスを煽って貧困家庭の引きこもりを追い詰める上に、「上流階級みたいな選民思想」「実の伴ってないエリート思想」なんて植え付けられたら、単に社会の嫌われ者になるだけかと・・・ヤクザさんが「極道」と称して自らを美化・正当化するのと同じ発想かと。さらには『ひきこもり魔術師と社交界の薔薇』というライトノベルのタイトルを安易にパクリした可能性もあり、集英社コバルト文庫の「ひきこもりシリーズ」の小説目当てで検索した人をも取り込むための薄っぺらくてズル賢いネーミングにも見える。アニメ化までされた『NHK(日本ひきこもり協会)にようこそ』もライトノベルですからね。
ひきこもり新聞のFacebookが批判的コメントを削除
他のブログさんの記事「
ひきこもり新聞から言論弾圧された?それとも操作エラー?」
あちゃー、やっちゃいましたか、創刊してから半年も経たぬうちに。やはり直感を信じて、ひきこもり新聞に直接意見せずに独自ブログに書いて正解でした。
数ヶ月に1回しか発行しない新聞だから「言論弾圧は言い過ぎ?」。そんなら、
いかにも新聞じみた紙版まで発行して、わざわざ「ひきこもり新聞」と名乗るのをやめろで下さい。その程度の覚悟?ひきこもりだから許せ?(木村ナオヒロ編集長の肩書きは
社会起業家で
元ひきこもりの
設定でしたよね?)
引きこもりを卒業したと宣言しておきながら「大目に見ろ」だとぉ? そんな訳分からん事をするから、引きこもり身内からも一般社会人方からも叩かれるんじゃよ?
ひきこもり新聞は、「キッザニア」内にある「こども新聞社」じゃないんですから。現金を収受する事業なんですから。その現金は「ひきこもり新聞」の編集長とか中の人の履歴洗浄のための浄財寄付とも違うんですから。あくまでサービスの対価ですから。「ひきこもり新聞」は宗教法人ではなく一般社団法人(誰でも簡単に作れるけど)なんですから。もし実態が宗教法人に近いなら、そっちへ法人形態を変更して下さい。
ある日の木村ナオヒロ編集長のツイッターを掘り下げた
木村ナオヒロ編集長@ひきこもり新聞編集長 2017年2月26日 ツイッター
業者に監禁されPTSDにされた子と親が先月ひきこもりの居場所に来ました。そのお母さんは二度と同じ悲劇が繰り返されてほしくないと声を詰まらせながら自らの過ちを告白していました。今は裁判の準備中だそうです。
読んだ直後は「違和感の原因がわからず、何とも思わないことにした」のですが、今、違和感の原因が分かった気がします。
「自らの過ちを告白していました。」という部分。
これだと、取り返しの付かない過去の重大事を犯した親御さんに対して「木村ナオヒロ編集長までが親御さんを責める側に回ってしまっている」事になる気がします。
そりゃ、うんと甘~い見方をしてあげれば「法的には犯罪行為に該当しない引きこもりをしていたとき、親に警察を呼ばれるという『あたかも犯罪者のような扱いの屈辱的な対応』をされた木村ナオヒロ編集長が、それと似たような『監禁業者に頼って引きこもりを解決するという愚作を弄して、子供にPTSDまで負わせた他人の親も許せない』という気持ちに到達する」のは分かります。
でも、今の木村ナオヒロ編集長は「元・ひきこもり」で「写真学校の学生」で「編集長」で「政治家、弁護士の志望者」で「社会起業家」で「社会人」で、
「ただの職歴無しの無職ではない」つもりなのですよね?
はっきり申しまして、神戸大卒という学歴においては(特に関西圏では)世間から評価されるでしょうが10年ひきこもりで社会人経験の無い社会起業家って所詮、
「自分は職歴なし無職でしかない」という解釈をする「謙虚さ」は大事だと思いますよ? 別に「職歴なし無職」が悪いのではなく、現状を認識せずに背伸びをする所が怖いのです。そんなに「職歴なし無職」が嫌ですか? それって、引きこもりの味方ではなく、むしろ逆に引きこもりを馬鹿にしている事になりますよ?引きこもりの痛みをに共感するなら「ひきこもりからイチ抜けた」根性はやめて、「自分も職歴なし無職」を強調して下さいな。
30代に入ってから「職歴なし無職」の履歴洗浄に取り掛かった場合の効率性は疑わしいですし、ましてや「私は職歴なしの無職ではない」という「(自称)安全地帯」というお高い立場から、「ひきこもり新聞」作って引きこもりの味方も気取るなんて、ひきこもりを馬鹿にしてると思います。
もっとも「職歴なし無職」という自分を直視せずに、NPO職員等と名乗りたがるアクディブな引きこもりは多いですから、木村ナオヒロ編集長だけを責めるつもりはありませんが・・・以下に、似たような境遇でも、人により生き様は違ってくる例をシミュレートしてみます。
- 「今は引きこもりを何とか抜け出し、NPOで働いています(ドヤッ。
元ひきこもりだから、ひきこもりの気持ちが100%分かる特殊能力を習得してるぜ!
でも、もう引きこもりじゃないから、ニートの連中を笑ってストレス解消してるぜ!)。
けれど、まだ精神科にも通っています(私を傷つける書き込みしたら「(精神)障害者差別だ!」って騒ぐぞ!ゴルァ!)」
- 「私は運良くコネに恵まれたので、今はNPOで少し働けて、少しお金を稼げていますが、経済的自立には程遠く、親と同居し(あるいは仕送りを受け)、履歴書的には職歴なし無職です。社会復帰って本当に難しいですねぇ・・・」
・・・の違いです。
木村ナオヒロ編集長に限らず、世の中には多く居るタイプですが、例えば刑務所に服役していた人を見つけると
「こいつは元犯罪者だ!刑期を終えても前科は消えない!過去は決して変えられない!(ザマーミロ!)」などと、鬼の首でも取ったかのように喜びながら、自分が先に死ぬか・相手が生きている限り、永久的に差別糾弾しまくるタイプではないでしょうか。
より話を分かり易くする為に、これから『聲の形』(声の形)という、「読者を非常に考えさせる社会派の少年漫画」のストーリーについて、過度なネタバレをしない程度に言及します。
小学生のときに率先して同じクラスの障碍女児を苛めてしまい、その全責任をクラス担任が主人公・石田君1人になすりつけた結果、今度は主人公・石田君が苛めのターゲットになり、激烈な苛め被害体験を通して、自身の愚かさを思い知り、人生に見切りを付けた主人公・石田君は、高校生になったとき被害者に謝罪してから投身自殺しようとしたものの、苛めていた相手からから「また会いたい」と言われ自殺を止めますが、親に「もう絶対に死ぬのやめろ!お前がバイト代を溜めて弁済しようと私の枕元に置いた合計170万円の補聴器代を燃やすぞ!」と叱られます。
そして同じ高校に進学していた「自分と一緒に障碍児いじめに加担したものの一切の責任を主人公に押し付けて知らん振りをしたいたKさん」。そのKさんが、恋仲になりたいと思っている男子生徒の前で「自分は可愛いくて、可愛そうな女子なんですアピール」をするため「だけ」に、絶妙のタイミングで「実は石田君(漫画『聲の形』の主人公)は小学生のとき障碍児いじめの主犯格だったんです! たった今も、私はこうして口止めの脅迫を受けていたんです!」と高校クラス内で言いふらし・・・
そのKさんと同じマインドが一部に混ざっていませんかね?木村ナオヒロ編集長は。
Kさんの主張は「最初に障碍児を苛めたのは主人公・石田君だから、主人公・石田君が一番悪い」
「過去は決して変えられないから主人公・石田君はいくら反省しても無駄」というものです。「裁判所で罪を裁く場合には通る主張かもしれません」が、それだけで世の中は回らず、人心とも乖離すると思います(それを補正するという名目で、素人の一般市民にPTSD発症のリスクを負わせつつ「殺人事件等のグロテスクな被害画像を見せて意見を聞き、判決の参考にする」という裁判員制度が作られています)。
そして、Kさんの吹聴にクラス内は動揺するのですが、やがてクラスメートは
「石田君が元・苛め加害者だからって、いま私たちが苛めてもいいのかな?」という真理に気付く事になります。
投身自殺者を助けて重症を負い入院中の主人公・石田君の為に、八方美人で仕切り屋で学級委員長のKさんが、「クラス皆で、石田君に千羽鶴を折りましょう。1人30羽お願いします」と持ちかけるのですが、
Kさんは「性格が何やら気持ち悪い」と皆から思われ始めていたので、鶴を千羽織って入院中の石田君に届ける事は出来ませんでした。もしKさんではない、
性格が気持ち悪くなく、仕切り屋根性のみで学級委員長になったのではない、真に人望のある人が呼びかけていたら、石田君へ千羽以上織られた千羽鶴の束を贈る事が出来たかも知れません。
ちなみにKさんとは川井さんの事で、Kさんと言えば夏目漱石の小説『こころ』に登場した「自殺した友人K」を連想させます。友人Kは、宗教家として恋愛を避けようとするも煩悩にさいなまれる、友人の裏切りに遭う、そして自分自身の人としての至らなさに絶望して自殺する・・・。「同じイニシャルのKさん」でも、『聲の形』の川井さんは夏目漱石の小説『こころ』に登場した「自殺した友人K」とは真逆の性格と行動(我欲と恋愛成就のためなら平然と他人を傷つけ、常に自分は正しい・周囲が悪いという自分本位の性格で、何をやらかしても罪の意識など全く感じない性格)であり、漫画『聲の形』の原作者は、夏目漱石の小説『こころ』に登場した「繊細な性格であり過ぎたために自殺した友人K」と、性格が真逆の「図太過ぎる生き方が『気持ち悪い』と評される領域にまで達しているイニシャルがKの川井さん」を掛けて、対比させているのかもしれません。
ブログ主のように精神病のキチピー症状のせいで「人類滅びろ」「みんな死ねばいいのに」「どうせ死ぬならいっそ(自主規制)」などという、ドス黒い感情に陥る事もなく、
自分は絶対いじめや犯罪はしないし・許さない、といった正義感的な決意をお持ちなら立派ですが、自分はいじめと思っていなくても被害者がいじめられていると感じれば、貴方はいじめ加害者になりますし、万全を期して車を安全運転していても、子供が突然飛び出してきて轢き殺してしまったら、貴方は交通刑務所に入ります。そういった想像をされた事はないのでしょうか?
私個人は、フリースクール「ワンステップスクール伊藤学校」の創始者、および彼を慕い兄貴・舎弟関係のような元ヤンキーの幹部方や、「俺は刑務所でちゃんと罪を償ったし!東大卒の俺は天才で周囲はしょせん愚民」という雰囲気のホリエモンはあまり好きではありませんが、そんな彼らを好きではない理由とは「彼らが刑務所に服役していた前科者だから」ではありません。
正義感は有るものの考えの狭そうな方が、ひきこもり新聞の編集長をしたり、政治家や弁護士になって弱者の幸福を本当に守る事ができるのでしょうか!? 「正義感は有るものの考えが狭そう」という点では、木村ナオヒロ編集長も、引きこもり新聞の創刊動機として批判なさっている伊藤学校の幹部方も、
実はお互いに本質は似ていたりする、近親憎悪とか同族嫌悪ではないか、一度、恩師であらせられる精神科医の斎藤環先生に聞いてみて下さい。
実際、木村ナオヒロ編集長のお写真や文章からは、「ひきこもりへの誹謗中傷、ひきこもりの人権を無視する業者を許さない」という正義感
(怒りの感情とも言い換えられる)が感じまられすが、精神科医の斎藤環氏は「ひきこもりの人権を無視する粗暴業者の行動原理の1つは、意外なことに実は(極度に単純化・美化された)
正義感にある」とも仰っていますので、ぜひ近親憎悪や同族嫌悪に陥っていないか斎藤環先生に聞いてみて下さい。
親が改心して「いない」なら、引きこもりの人を守る為に「引きこもりの味方になって、一緒に親を責めてやる」というのは、ある程度は分かります(でも心理学的に本当に理に適った対応かは怪しい)。
しかし、「今は改心している親御さん」「自身の非を認め、子供のために裁判を起こそうと準備を進めている親御さん」を、さらに責めるのでしょうか?
それって、木村ナオヒロ編集長が、
(多分未だ親と和解せずに引きずっている)私怨の解消そのものではありませんか?
私自身も自分の親と完全和解したとは思っていませんので、木村ナオヒロ編集長に「さっさと親と和解しろ」などと言う気は毛頭ありません。しかし、ひきこもり新聞の編集長という肩書き、そのほか弱者救済の社会起業や政治家や弁護士を目指すなら、
私怨と他の感情が混濁しないだけの冷静さ、分別を身につけて頂きたいと思います。
その親子さんが勇気を振り絞って、「業者に監禁されPTSDにされた子と親が先月ひきこもりの居場所に来てくれた」のに、そんな事では、せっかく天から降ってきた「心理学的にも極悪非道な、ひきこもり監禁業者を成敗するためのご縁」を、みすみす台無しにする事につながりかねないのでは、と心配します。
そうやって、せっかくのご縁を台無しにするならば、「ひきこもり監禁業者を裁判に訴え、世間の衆目に晒しながら糾弾する事ができるせっかくの機会」を失い、ひきこもり監禁業者に怯えている全国の罪なき引きこもりたちをも裏切り、傷つけ、絶望させる行為に着地しかねないと思います。
あるいは、その親御さんを責めて信頼関係を喪失した後も
「もし裁判を止めたら、貴方は全国百万人の引きこもりを裏切る事になりますよ。それでもいいんですか? 貴方は本当に罪深い、駄目な親ですね。どうせ反省なんてポーズだけでしょ」などと、その親御さんを責めて、追い詰めながら裁判を続行するつもりが有るのでしょうか?
裁判で目立ち、あまつさえ勝訴すれば、貴方は全国百万人の引きこもりのヒーローになり、政治家になる夢を叶えるための選挙に立候補した時にも、得票の上で有利となれるかも知れません。しかし、そのような方法で「人心掌握」ならぬ
「人心制圧」をした場合、裁判が終わった後でその親御さんは廃人になってしまう事でしょう。そして、そんな憔悴しきった親御さんを見た子供さんまで廃人になってしまうかも知れません。
そのご家族が、そのような犠牲に至った場合、木村ナオヒロ編集長ご自身の親への恨みも晴らせて、ご自身の名前も売り拡げる事が出来た上に、全国百万人の引きこもりの溜飲を下げる事ができるならば、それは
「必要な犠牲」「尊い犠牲」「費用対効果の極めて高い、効率の良い犠牲」と正当化できる犠牲でしょうか? 野球における「犠牲フライ」などと同列には考えて欲しくないのです。「正当化できる犠牲」「人柱の正当化」などという概念を、あらゆる戦争や差別を正当化していた、かつての野蛮人類のような思考パターンを、現代人がまたぞろ復活させてしまって宜しいのでしょうか?
「ちょっとした工夫次第で」そういう、おぞましい犠牲を回避しつつ、裁判も出来る方法があるような気はしますが、木村ナオヒロ編集長には難しいかも知れませんし、即効薬的なアドバイスを出来る人は誰も居ないかもしれません。
私にも利己心は有りますから、その原告親子が傷つくリスクが生じても「裁判をやってほしい」と思わずには居られない気持ちはあるのですが、ひきこもり新聞が原告親子をサポートするどころか、逆に足をひっぱったり、余計に原告親子を傷つけてしまわないかが心配です。
木村ナオヒロ編集長にひきこもり新聞創刊や地方議員出馬を持ちかけて、かなり目をかけていると思われる精神科医の斎藤環氏が、例の「木村ナオヒロ編集長@ひきこもり新聞編集長」のツイートを、リツイートしたのは、「(親が)自らの過ちを告白していました。」という文章に目をつぶってでも「拡散させる利点のほうが大きい」とふんだからであり、単なる無神経さが成した行為ではない、と思いたいところですが・・・。
「あらゆる支援は、本当に暴力性を内包している」のだと、思わぬ形で納得しました。
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