別に、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長が何を職業にして生きようと個人の自由なのですが(もし当選して、議員歳費(給料)を貰えている間は、ひきこもり中傷の定型句「働け!そして納税の義務を果たせ!」に対向できるわけですし)、ちょっと引っかかる部分がありますので、マスコミの報道記事と出来事を時系列で追ってみます。
◆2016年
9月 新聞製作の為の一般社団法人(誰でも作れる)「全国ひきこもり当事者連合会」設立
9月 つくば市議選 立候補問い合わせ
10月12日 ひきこもり新聞「WEB版」初記事
10月17日 市議選説明会に出席。
10月30日
東京新聞(茨城版有り) ひきこもり新聞創刊の報道(編集長:
木村「ナオヒロ」)
10月31日 立候補の事前審査
11月1日
ひきこもり新聞「紙版」第1号発行
11月6日 茨城県つくば市 市議選告示 木村「ナオヒロ」ではなく「直弘」で出馬
11月10日 ひきこもり新聞WEB版に斎藤環氏インタビュー掲載
11月13日
茨城県つくば市 市議選 投票日(落選するも供託金は没収されず)
12月3日
常陽新聞(茨城ローカル紙)に
「木村直弘」名義で、ひきこもり新聞編集長、
つくば市議選の元立候補者として報道。
12月24日
茨城新聞(茨城ローカル紙)に
「木村ナオヒロ」名義で報道。茨城ローカル紙にも関わらず、
つくば市議選に立候補した件に触れず。
12月下旬 NHKニュースWEBで
「木村ナオヒロ」名義で報道。引きこもり新聞が特集されるが、木村ナオヒロ編集長が
つくば市議選に立候補した件に触れず。(サイトリンク切れ)
◆2017年
2月中旬
産経新聞で
「木村ナオヒロ」名義で報道。WEB版は6ページに及ぶ長文にも関わらず、木村ナオヒロ編集長が「写真の学校に通っている」ことを新たに伝えているものの、
つくば市議選に立候補した件に触れず、将来の夢が政治家や弁護士である事もスルー。そして少なくとも2017年1月発行のひきこもり新聞・第2号から設定されている
「超応援価格・1部1万円」を報道せず。
ひきこもり新聞の編集長は木村ナオヒロ氏ですが、選挙が近くなると報道名義が立候補者名と同じ「木村直弘」に変わる点が何とも奇妙です。「ナオヒロ」と「直弘」、大して変わらないのに、使い分ける必要性はどこに有るのでしょうか?(個人的な推測は後述します)
茨城新聞サイトのつくば市議選 の
候補者プロフィールによれば
木村直弘 年齢:32 職業:法人理事 政党:無新
◆略歴 全国ひきこもり当事者連合会代表理事、ひきこもり新聞編集長。神戸大卒。谷田部
「全国ひきこもり当事者連合会」のページを探すと「全国ひきこもり当事者連合会 | ひきこもり新聞」が表示され、それはWEB版「ひきこもり新聞」内の1ページに過ぎません。マスコミのインタビュー記事によれば「9月には新聞製作を活動メインとする一般社団法人「全国ひきこもり当事者連合会」を設立し、代表理事に就いた」(
茨城新聞WEB版 2016年12月24日)とあるので、つまり、全国ひきこもり当事者連合会代表理事=ひきこもり新聞編集長であり、実質的な肩書きは1つと言っていいかもしれません――例えるなら、自動車の普通免許を取得すれば原付バイクも運転できるのに、「私は普通免許と原付免許という、資格を2つも持っています」と履歴書に誇らしげに書くようなものです。面接担当から「見栄っ張り」「プライド高い」「世間知らず」などと思われる可能性もありますが――しかも、どちらも新聞報道の時点で設立してから日の浅い新聞と団体のようですが、ひきこもり新聞および編集長の木村ナオヒロ氏に関する茨城新聞の報道は選挙後でしたから、候補者の経歴欄から「普通免許と原付免許の例え話」と似た構図を、つくば市の有権者が読み取る事は難しかったでしょう。
もし木村ナオヒロ氏が、ひきこもり新聞等を立ち上げずに選挙に立候補していたら、
木村直弘 年齢:32 職業:無職 政党:無新
◆略歴 神戸大卒。谷田部
・・・となっていたかも知れず、「始めから市議選への立候補を意識して新聞を立ち上げたのか?」と、その「引きこもりらしからぬ」計算力と行動力に驚きます。「全国ひきこもり当事者連合会代表理事」「ひきこもり新聞編集長」の肩書きは、それぞれが長い名称のため、2つでも経歴欄に27文字も書けます。そこまで計算ずくで団体名を考えたのでしょうか?「年齢32歳 職業:無職」「肩書き:神戸大 谷田部(在住)」という「高学歴(大学に関心が無い関東人には地方の無名大学と勘違いされる場合もあるが)である部分を除き、選挙に立候補するには、ちょっと勇気が入る『職歴なし無職』の肩書き」を上書き・装飾する為の手段として、ひきこもり新聞は創刊されたのか?と。職業欄にある
全国ひきこもり当事者連合会のページを訪問すると、そこは「ひきこもり新聞WEB版」内の特設ページらしいところで、そこには「ひきこもりは連帯すれば一発逆転できる 斎藤環さんインタビュー」という記事のみが掲載されていました。この市議選のタイミングで、「木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長)と斎藤環氏との対談ページ」へ誘導する・・・
精神科医・斎藤環氏は、ひきこもりを扱ったマスコミに何度も登場し、ひきこもり関係の著書も多数の、ひきこもり業界で超弩級の有名人です。さらにはオタク文化への言及と著作も複数有り、アニメ漫画界でも知名度を有します。この精神科医・斎藤環氏が、木村直弘候補(=ひきこもり新聞・木村ナオヒロ編集長)を実質的に応援したのと近い効果があったと考えられます。
よって木村ナオヒロ編集長のツイッターにある「何の後ろ盾もなく、『たった一人で』激戦の市議選に出たらどうなるか」という文言は、事態を正確に言い表していないように思います。表に出さなかっただけで「斎藤環氏という大きな後ろ盾」があったに等しいのではないか、と思います。そもそも(他の候補者に比べれば少数であったとしても)ご友人方も手伝ってくれたのに『たった一人で』という表現は「ご友人方への配慮」を欠き、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長(木村直弘候補)は、本当に親身に引きこもりの味方になってくれるのか、疑わしく見えてきます。
裏を返せば、ある種の政治家を職業にするには向いている性質かも知れませんが。
斎藤環氏との、WEB上と、ひきこもり新聞での繋がりは、「社会的ひきこもりの候補者にとって斎藤環氏との繋がりは、日本最強の援軍を味方につけたに等しい事象であった」と考えられます。しかも斎藤環氏は、つくば市に所在する「筑波大学の教授」でいらっしゃいます。ですから、ひきこもり、漫画アニメ、心理学等へ興味のない地元の一般市民へのアピール効果、信用獲得の効果まで期待できました。そのためか、
得票順位はビリから2番目であったものの、最下位の4倍の得票を獲得し「当選こそしなかったものの、供託金没収ラインを超える得票となり、供託金は没収されなかった」とのことです。
なお、定数28人に対して候補者38人が立候補し、激戦状態だった
2016年つくば市議会選挙の最下位の当選者(共産党候補)の得票率は約2%です。日本の引きこもり当事者数が約100万人と言われ、日本の総人口の約1%を占めますが、仮に引きこもり家庭が全国に遍在せず分布していると仮定した場合、引きこもり当事者の両親、家族、親戚などの得票も得られれば、社会的ひきこもり当事者の得票予想は2%を超え、激戦と言われた今回のようなつくば市の地方選挙でも「1人位なら引きこもり当事者が」当選できる可能性が見えてきます(ひきこもり新聞編集長の木村ナオヒロ(候補者名:木村直弘)氏は残念ながら落選しましたが)。折りしも、つくば市議選前の2016年秋頃、精神科医の斎藤環氏のツイッターに「ひきこもりやニートは地方議員に立候補すべき」という類のツイートが散見されましたが、そういう風に事態は地続きになっていたのです。
斎藤環氏は、ひきこもり新聞の木村ナオヒロ編集長の名前こそツイッターに書き込みませんでしたが、木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長)の「何の後ろ盾もなく、たった一人で激戦の市議選に出たらどうなるか。これは社会実験。」というツイートをリツイート(斎藤環氏自身のツイッターに表示)しました。閲覧者が多い斎藤環氏のツイッター上で、斎藤環氏自身が「何の後ろ盾もなく、たった一人で激戦の市議選に出た」という木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長)のツイートをリツイート(表示)してしまう行為は、木村ナオヒロ候補(ひきこもり新聞編集長)のツイート内容「「何の後ろ盾もなく」を否定しかねない行為なので、斎藤環氏もけっこう意地悪なのか、「実は後ろ盾があります」と示すことで有権者に公平性を示したのか不明ではありますが・・・斎藤環氏がアニメ映画『この世界の片隅で』に激ハマリして、アニメ映画関連の弾幕的ツイートにウツツを抜かしていなければ、ツイッター投稿を埋めるネタとして、木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長の木村ナオヒロ氏)について、もっと宣伝・応援的なツイートをしていたかも知れません。
斎藤環氏は、公式ツイッターで、木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長)の直接的な選挙応援(「ある意味での私の教え子が出馬しました。つくば市の皆さん、投票してね」とか。)こそしなかったものの、「全国ひきこもり当事者連合会」のページをクリックすれば、木村直弘候補(編集長)と、ひきこもり新聞の取材に応じた斎藤環氏の対談インタビューページが表示されたので、これは実質的に、決して小さくない斎藤環氏による応援効果があったと言えるでしょう。
なお木村ナオヒロ編集長のツイートによれば「市議選の応援ありがとうございました。これからも挑戦していきたいと思います。ひきこもり新聞もよろしくお願いします。」とありますので、また選挙に挑戦するようです。
どのような人生を歩むかは木村ナオヒロ編集長の自由なのですが、私は、ひきこもり新聞(WEB版)の目に付きやすい場所に、自身が政治家志望であることをハッキリ明記しない木村ナオヒロ編集長のやり方は好きではありません。広く有権者の声を聞き、建前上は市民の幸福のために働くべき政治家を目指す者が、自身に都合の悪いことを隠してコソコソ行動しているように見えて納得がいきません。政治家を目指す事が「やましい事でないならば」ハッキリと「私は政治家をやってみたいのです。私が編集長を務めるひきこもり新聞の創刊後、1回目はつくば市議選に立候補しましたが落選しました。でも諦めていません、また挑戦するつもりです」と堂々と、ひきこもり新聞に書くべきではないでしょうか。「選挙期間外に選挙の事を書くと法律に抵触する」などという事はありません。2013年4月の公職選挙法の改正により「インターネットを使った選挙運動」は合法化されています。現に、木村ナオヒロ長は自身のツイッターに「市議選の応援ありがとうございました。これからも挑戦していきたいと思います。ひきこもり新聞もよろしくお願いします。」とハッキリ書いているではありませんか。しかし、レイアウトの都合上、記事が目立たないツイッターにそれを書いて、自身が編集長を務めるひきこもり新聞に書かないのは、何やら非常にコソコソやっているように見えてしまうのです。
木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長)の選挙手法「宣伝車の扶助も断り自転車で遊説、金を掛けない選挙」は立派だと思います。しかし、お金を掛けずに効率よく当選の確率を上げるのなら、そして一度落選しても政治家への挑戦を続けるのなら、無料動画サイトに演説動画や自己ピーアール動画をアップすれば良いと思います。しかも、木村ナオヒロ(直弘)氏は機械オンチの年配者ではなく、ひきこもり新聞の編集長ナオヒロ名義でツイッターを開設していますから、ネットは一切使わない主義の方ではないのですから、無料動画サイトを活用しない点が不自然です。2016年に無料動画サイトへ自作のコミックソングを公開して世界的に有名になった芸人「ピコ太郎」(PPAP)の例を考えても、「お金をかけない選挙」において無料動画サイトを活用しない点は不自然です。
なお、無料ソフト等を使えば、動画は誰でもパソコンに保存できるますので、木村直弘候補(ひきこもり新聞編集長)は、自身の選挙活動の証拠を残したくなかったのでしょうか。「政治家にとってテレビは怖い」とも言われます。動画では文章以上に不都合なニュアンスまで伝わってしまう不確実性を恐れて、そのリスクを避けたかったのでしょうか。
上記のコソコソとした点を踏まえて、木村ナオヒロ編集長のツイッターの「市議選の応援ありがとうございました。これからも挑戦していきたいと思います。ひきこもり新聞もよろしくお願いします。」を読むと、木村ナオヒロ編集長の真の目的はなんなのだろう、と考えてしまいます。木村ナオヒロ氏にとって、自身が編集長を務めるひきこもり新聞は、知名度と信用を獲得して政治家になるための「踏み台」なのだろうか?と。
他人の人生や生死をあまり左右しない別ジャンルの新聞なら、政治家としての売名に使ってもいいと思いますが、よりにもよって、ひきこもり当事者による、ひきこもり専門紙というデリケートなジャンルの新聞を政治家に成るための売名・信用獲得のツールに使ってしまっているように見える事、しかもその事を、何やらコソコソ隠して行動しているように見える事に、強い違和感を抱きました。
結果的に、匿名掲示板2ch内に作られた「ひきこもり新聞創刊」の話題を扱う掲示板で、
- ひきこもり新聞の編集長が政治家志望である事(これは言及がありますが)、
- ひきこもり新聞の創刊直後に地元の市議選に立候補した事、
- 選挙候補者の学歴以外の略歴は「ひきこもり新聞」関連のみである事、
- 選挙候補者の略歴に記載がある「全国ひきこもり当事者連合会代表理事」のサイトを訪問すると、「ひきこもり新聞」内の「編集長と斎藤環氏の対談ページ」へ誘導され、ひきこもりにとって最強の援軍とも言える、超弩級に有名な精神科医・斎藤環氏との関係性が強調された記事が目に入る事、
- 編集長の政治活動について、ひきこもり新聞内で言及がなく、選挙活動についての報告は編集長のツイッター内に埋もれており情報アクセスが困難である事。
これらを誰かが匿名掲示板で指摘していたら、「ひきこもりなのに外出して新聞を創刊し、そのうえ選挙に立候補できるなら凄い行動力あるじゃん。どこが引きこもりなの。新聞も選挙への売名目当てか。売名のために「自分よりも弱くて行動力のない引きこもり」を利用するなんて、酷い人だな。
引きこもりは、労働忌避ばかりじゃなく、性格まで悪いなんて、これじゃ本当に救いようが無い、同情できない、生の声なんて聞きたくない」等と、炎上していたかもしれません。炎上が起きなかったのは実に運の良い人なのだと思います(もし炎上したらしたで、炎上マーケティングとして利用し、知名度アップに結び付けようと考えていたのかもしれませんが)。
ひきこもり新聞編集長の木村ナオヒロ氏という名前は、「ひきこもり当事者・経験者」という立場から、デリケートなプライバシーへの配慮上、てっきりペンネームだと思っていたのですが、今回のつくば市議選の立候補により本名が(ある程度の確率で)「木村直弘」であると推察できました。ひきこもり新聞の編集長名は木村「ナオヒロ」、政治家としての名義は木村「直弘」・・・ナオヒロと直弘は大差ないのに
何故使い分ける必要があるのでしょうか? 一つの可能性として、名義の使い分けの理由は、
ネット検索への対策ではないか?と思われます。マスコミ報道や、ひきこもり新聞によって人々に最初に周知された名称は「木村ナオヒロ」のほうでした。
近頃の検索機能は、頻繁に組み合わせで検索される複数のワードを自動的に表示してくれますから、「ひきこもり新聞 木村ナオヒロ」と検索窓に自動表示してくれます。ここで生まれる構図は
「ひきこもり新聞 木村ナオヒロ」と、「つくば市議選候補者 木村直弘」の切り離しです。
いっぽうで、つくば市議選の選挙広報・報道には「木村直弘 略歴:ひきこもり新聞編集長」と出ています。
つまり、つくば市議選の有権者には、木村直弘氏が神戸大卒(偏差値は高いですが)のただの無職ではなく「ひきこもり新聞編集長」という善人的で社会起業家的な肩書きも持っていると伝わる一方で、
ひきこもり新聞読者の引きこもり当事者には、「選挙期間頃の、木村ナオヒロ編集長のツイッター」を注意深く毎日チェックしない限り「ひきこもり新聞の編集長が選挙に立候補している」ことを知るのは容易ではなく、選挙期間の頃でないとほぼ「編集長が市議選に立候補している事実」を発見できない構図が作られていました。
この仕組みは、頭脳プレイと言えなくも無いですし、引きこもりの全員が東大卒レベルであるなら問題ないと思います。しかし、中には学校中退、義務教育もおぼつかない状態の引きこもりの方もいらっしゃるでしょうから、その点を考慮した場合、
一方には知らせて、一方には知らせないという構図を作ってしまうのは、いかがなものかと思います。
このような木村ナオヒロ編集長が、ひきこもり新聞を通して、引きこもりの心に寄り添えるかは非常に心配です。もっとも、このぐらい人を食う力があれば、ある種の政治家には向いている、と言えるかもしれませんが。
ひきこもり新聞に載った、編集長と斎藤環氏の対談記事のタイトルは、斎藤氏の一言
「ひきこもりは連帯すれば一発逆転できる」ですが、そこで「一発逆転できる引きこもり」とは、
「連帯した全員」なのか、
「誰かが動員をかけて連帯させて、動員をかけた上位の一握りだけが成功し、その他は出し抜かれ、使い捨てられ、頂点の一握りだけが一発逆転できるのか」で、全く結末が変わってきます。私も性善説に弱い、馬鹿な人間の1人ですから、「連帯した全員が一発逆転できる」と思ってしまいがちなのですが(ある意味で新自由主義に逆行する、労働組合的な成果の分け合いの発想とも言えるか)、
偏差値が高めの神戸大(法学部?)を卒業された編集長が、ひきこもり新聞を作り上げた影で、自身の政治活動に新聞内で明解に言及せず、何やらコソコソ行動されている印象で、現状では誰もその事に疑問を唱えないことが、とても怖いのです。人間不信等に陥っている方も多い引きこもりの有権者を傷つける行為は、ひきこもりに比べて格段に打たれ強い一般社会人の有権者を傷つけるよりも、罪深い行為であると思います。
ひきこもり新聞に寄稿した方々の中で、編集長が市議選に立候補する事を知っていた方は、どのぐらい居るのでしょうか? 少なくとも、編集長と直接会う事が出来る、ごく近しい面識が深い方しか知り得なかった情報でしょう。ひきこもり新聞創刊や、つくば市議選を報道したマスコミの複数のサイトをくまなく読まない限り、ひきこり新聞の編集長、つまり、ひきこもりに寄り添う側としての木村ナオヒロ氏の「十分」なプロフィール・人となりを知ることができない仕組みが作られていました。
世の中は競争社会です。水準に達した者を全員合格にするような検定試験などと違い、入学試験や入社試験(そして政治家の選挙も!)には「定員」がありますので、他人より優秀な成績を出して、他人に勝たなければなりません。しかし、学校や企業は複数有りますので、競争に負けても、数ある他の学校・会社の試験へ再挑戦するチャンスがあります。
しかし、ひきこもり新聞は、「ひきこもり当事者による唯一の新聞」を標榜している訳ですから、「編集長のやり方が気に入らなければ他の新聞を読めばいいじゃないか」などと安易に引きこもり当事者に放言は出来ないはずです。「自分の引きこもり体験が、他の引きこもり当事者の役に立てれば」との優しい思いから、ひきこもり新聞に多大な勇気と労力を注いで投稿された引きこもりの方達は、編集長が市議選に出馬する際に有利になる・恥にならないように、編集長の候補者経歴を「無職から、ひきこもり新聞編集長」へと履歴洗浄(ロンダリング)することに同意した上で投稿していた人が多いとは思えません。言葉には出さなくても、新聞創刊のほぼ直後に、編集長が半ばコッソリと市議選に出馬していたという事実を知ったならば「また自分は他人から裏切られた、利用された」と思い、人間嫌い、人間不信(そのような人間によって構成される社会全体への不信)を強めてしまう引きこもり当事者も多いのではないかと思います。私は、最悪の可能性「報道は人を傷つけ、殺しもする」をブログ冒頭に記しましたが、それが、まさかこんなにも早く、現実に近づいてしまうとは夢にも思っておりせんでした。
常陽新聞(茨城県のローカル紙)スマホ版においても「ひきこもり新聞創刊」が報道され、記事によれば「市議への立候補は、斎藤環氏の勧め」「ひきこもり新聞の発行は斎藤環氏との約束」との事ですが、ひきこもり新聞創刊、つくば市議選への立候補と、人様を色々と巻き込んでおいて、それらを全て「斎藤環氏に言われてやった事だから」という受身姿勢で済ませてしまって良いものでしょうか。「ひきこもり当事者なんだから仕方ない」で済ませては、
「これだから引きこもりは人間のクズなんだ。働かないばかりでなく、人間性まで悪い連中だ」等と、社会のひきこもりに対する悪評を益々強めてしまいかねません。
常陽新聞の報道では、ひきこもり新聞の編集長は、「政治家以外にもやりたい事がある、司法試験に挑戦する可能性もある、自分の力を発揮しきれてないと思っている、ひきこもりじゃない状態でやってみたい」とも語っており、同年代の平均的な引きこもりよりも、それを実現できる可能性が高い条件が揃っており、「自分は恵まれているから妬まれる」との思いもあるのでしょうが、社会的弱者の人生とあまり関わりのない仕事を選ぶ分には別にどうでもいいと思いますが、羨望嫉妬を恐れてコソコソするような性格と、中途半端な覚悟で、社会的弱者の深刻な人生に踏み込む事業(ひきこもり新聞編集長および弁護士)を志してしまうのは、いかがなものかと思います。
特に「公人」となった場合、一般人以上に「誹謗中傷」されやすくなりますので、メンタル面でも心配です。例えば、小泉総理は、政見放送で泡沫候補から「腹を切って死ぬべきである」とまで言われましたが、このような表現さえ公職選挙法では許されるのか、NHKはその「腹切れ」発言を音消し修正せずに、そのまま放映しました。
そもそも私は、各メディアやひきこもり新聞などに掲載された、引きこもり当事者を自認する、ひきこもり新聞編集長の木村ナオヒロ氏の写真を見るたびに、「言葉に言い表せぬ違和感」を嗅ぎ取っていたのですが、その正体が判った気がします。ひきこもり当事者が堂々と写真に映る、などの部分を差し引いても
ぬぐえぬ「違和感」の正体は「この人、なんで政治家みたいな雰囲気を醸し出しているんだ?」でした。木村ナオヒロ編集長のつくば市議選への立候補を知り、その違和感をようやく言語化でき謎が解けたように思いました。
【妙案】
情報の出し渋りが甚だしい!NK編集長プロフィール欄対策!!
コソコソ胡散臭さを消す為のプロフィール改革案!!
※「斎藤環に相手にされない低スペひきこもり寄り添い云々」と書いていますが、ブログ主自身が低スペで、そのうえアスペかも知れないので見下しの意図は全然ありません、ていうかブログ主自身の精神崩壊の予防と(すでに崩壊しとるがな!)と、それに似ている感じの人の為に・・・
え、「私の戦闘力自慢」は悪役フリーザ様の台詞ですって・・・? いや、悪役に仕立てる意味は毛頭ありませんですよ、地球人より優れていて強い「サイヤ人」様に違いは無いではありませんか・・・まぁ悟空以外は「選民意識」「エリート思想」が強い異星人ではりますが、べジータは性格が丸まっていきますし・・・