どうしてこうなった・・・?
そうですよ、吉田照美が『この世界の片隅の君の名は、晋ゴジラ』という、カオスなタイトルと内容のコラージュ油絵を描いたせいですよ。
「『この世界の片隅に』は、傑出していて、戦争をやりたがっている馬鹿な政治家には、絶対見させなくてはいけない」等と言ったらしいですが、「戦争をやりたい政治家」にとっては、
無意味です、手遅れです、「戦前の日本および日本人は只々美しかった。欠点など皆無だった。これぞ美しい国・日本の姿」などと自分らに都合よく解釈されるのがオチです。吉田照美氏が期待するような思想の左転向は絶対有り得ないと思われます。
「国益=極一部の国民の幸福」を
「全国民の幸福」にすり変える悪知恵の研鑽に、日々の努力と精進を欠かさない政治家たちを、「理論上では」選挙で落とす事ができる、日々ご自身・ご家族
・ご友人・恋人とのささやかな日常の平穏を護るために勤労に汗水流していらっしゃる一般国民様にこそ『この世界の片隅に』は観てほしいと思います。
なお、
「すずさんは何事にもプラス思考で一生懸命なのに、マイナス思考で勤労していない引きこもりが観たら死にたくなる」なんて事にな成らない、スバラシイ物語になっております
。だからこそ精神科医の斎藤環先生が「ひきこもりにも」オススメしまくっているのです。
ちょっと勧め方が怖くてウザイですが。(ただし、粗探しや、アラが無ければアラをデッチ上げるという無駄な才能に秀でている「毒親」とは一緒に見ないで下さい。斎藤環氏は
「批判のし様が無い作品」と言っていますが、それはフツーの人にとってであり、何事にもフツーではない例外が存在します)。
上のパロディ4コマ漫画を整理してみますと、引きこもり界のドン・精神科医の斎藤環先生、映画『シン・ゴジラ』、アニメ映画『この世界の片隅に』(すずさん)、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(碇ゲンドウ、すずんゲリオン?)、福島原発から飛散した例のアレの首都圏ホットスポット問題、(昔の?)つくば研究学園都市の景観が平壌みたいでT波大学では謎の死を遂げる人が多いんだとか、政治思想ネタとか・・・。こういうカオスな話が脳内ですんなり進行してしまうのが描画主がキチピーな所以でしょう。では吉田照美氏がキチピーかと言うと、それぞれの政治的立場によって、「吉田照美氏はこういう人であって欲しい像」は変わってくるでしょう。
『シン・ゴジラ』よりも圧倒的に『この世界の片隅に』を猛プッシュしている斎藤環先生・・・恐らく『この世界の片隅に』のクラウド・ファンディングに参加されて映画資金をアレされていると思うのですが(でも、仮にエンドロールに出資者全員の名前が出ていても、最後まで席は立たなかったものの、わざわざチェックしなかったですけぇね、ザマーミロじゃ)、「ファンド」という事は「映画がヒットすれば株式投資みたいに儲かるのか?」と調べてみれば、「日本ではリターン無し(見返り無しの完全寄付)のクラウド・ファンディングはダメ」らしいので、「うわっ、自分の投資を必死に回収し、あわよくば利益を出す為に『この世界の片隅に』を観ろと宣伝してるのか、汚らしい大人だなぁー」と思い込み、斎藤環先生の『この世界の片隅に』の猛プッシュが鬱陶しかったのですが、最近ようやく『この世界の片隅に』のクラウド・ファンディングのページを見る事が出来て、映画制作資金の出資に対するリターンとは映画の鑑賞券がもらえる訳でもなく、「海外で行われる映画イベントに参加できる権利」という、ヒマとお金がない人には行使のしようが無い権利」である事が分かり、非常にモヤモヤしています。
『この世界の片隅に』の宣伝ウザイと、脳内で斎藤環先生に文句を言いいまくる口実を失い、「斎藤環先生は単に良い人だったんですか?」という結論を脳内から抑圧しようと必死にもがいている最中です。
この感覚は『あずまんが大王』に出てくる「女子高生が好きだから高校教師になった」「暑いから女子はブルマで授業を受ける事を許可する」「君の入ったプールの水を一杯もらおうか」「10歳の千代ちゃんも、これはこれで守備範囲」等と言う「古文の木村先生」が、実は街頭募金で頻繁に壱万円を寄付している慈善家であるという設定と、どこか似ているなと、思い込みたいです。
なお、「古文の木村先生」の場合、いつも同じ人へ募金をすれば「いつもありがとうございます」と言ってもらえるので、そういう計算が無いとも言い切れません。同様に『この世界の片隅に』のクラウド・ファンディングについて、「字幕に自分の名前が載るのが、そんなに嬉しいか?真の篤志家なら、お金だけポンと出して見返りを求めない。あの字幕の弾幕を観て一気に感動が冷めた」というのが『この世界の片隅に』批判アンチ意見の一派です。もっとも斎藤環先生の場合、「それでは映画内容の批判になっておらず的外れで不毛ある」と指摘してきそうですが・・・。まぁ、日本ではアメリカほど寄付文化は根付いていませんが、金が有り余っている富豪が大勢居るのと同時に、貧しい人も大勢いるようなアメリカほどの格差社会に日本は未だ成っていないという事は、特に引きこもり等の社会的弱者にとって救いであると言えるかも知れません。
なお、「戦前の美しい日本と、戦前の美しい日本人が大好きな文化人」である百田尚樹氏や櫻井よしこ氏が、美しい戦前日本の風景、勤勉で粘り強くて情に厚くて要するに美しい戦前の日本人についても描いた、見る人によっては反戦アニメに見えないとさえ言われる『この世界の片隅に』について、あまり目立った事を言っていないようなのが不思議です。