埼玉の十万石饅頭(キャッチフレーズは「うまい!うますぎる!」)は実在しても、神奈川・小田原の五百羅漢饅頭はたぶん無いです。
残念ながらSHATジャンパー(生活・保護・悪阻止・チームの略。生活保護舐めるな!ともコッソリ表記されており、(主に)気の弱い受給者を威圧して市職員のストレス発散をするための官製ジャンパー)は実在しました。気の強い人ほど不正受給をして、気の強い人はジャンパーの文字など無視するので、SHATジャンパーは不正受給を止めさせる装置としては、さして有効に機能しなかったことでしょう。
斎藤環先生のツイッターには「主人公・すずさんの幼なじみ(水原さん。ご学友版の鬼いちゃん)が乗っていた重巡洋艦『あおば』」への言及が複数見受けられますが、1970年代前半に折しも斎藤環先生の降誕の地とされる岩手県北上市には、国鉄の在来線
特急「あおば」号(北上線経由、仙台ー秋田)という列車が1日1往復運行されていたので、その点でも「あおば」と斎藤環先生の不思議な縁が浮かび上がります。
地理マニアや、時刻表マニアの方からすれば「三大都市や札幌や福岡を経由せず、仙台ー秋田という地方都間を結ぶ特急は不自然」との感想が聞かれそうですが、もともと特急「あおば」号は、上野―秋田を結んだ特急「つばさ」号に使用される一部車両の「秋田での折り返し時間が長い」点に着目し、車両の有効活用も兼ねて運行されていたようです。
もともとが上野―秋田という長距離の特急用の車両を活用しているため、なんと
特急「あおば」号には食堂車が連結されていたのだそうです。そこで、『この世界の片隅に』を愛して病まない、有名な引きこもり精神科医の斎藤環先生の生誕の地でもある岩手県の北上駅も通った特急「あおば」号に、イラスト上ですずさんを食堂車ウエイトレスとして乗務させてみました。
もっとも、「新幹線や特急で、大した売り上げが見込めない時間帯・区間では車内販売を行わない」という事例からしても、特急「あおば」号に食堂車が連結されていたとしても、車内販売よりも余程手間のかかる食堂車を必ずしも「営業」していたかというと怪しい・・・(末期のブルートレインでは、食堂車は連結していても自販機以外の飲食は一切提供しない「テーブルと椅子を自由に使えるフリースペース」としていた事例もありますし)・・・と思ったのですが、
特急「あおば」号に言及されているサイトさんを拝見すると、地方都市間の特急にも関わらず、なんと「
特急あおば号の食堂車は営業していた」のが分かります。
なお、旧国鉄の食堂車は「値段の割に味はイマイチ」というのが定評だったそうで、駅ナカのショップも充実しておらず、ペットボトル入り飲料も無かった当時「他に選択肢が無いから仕方なく」ではなく「食堂車で食事を取る体験をしてみたいので、旅費を多少削ってまで割高を覚悟のうえ利用した」のは鉄道ファンだったとか、なかったとか・・・
すずさんの食堂車の制服は、「戦前のメイド服風」+「戦後の紺色」を合体させたものです。もっとも『この世界の片隅に』で言及される、庶民がスミレやタンポポなどの代用食品で飢えを凌いでいた大戦後期には、軍事輸送が最優先のため、特急や急行は廃止され、食堂車も連結されなくなったそうです。
それにしても『この世界の片隅に』のすずさんは、ボーッとした性格ですから、走行中に揺れる上に、食事時間帯は空席待ちが出来るほど混雑した食堂車への勤務というのは少々無理があるかもしれません。現代で言えば通勤時間帯の駅のキヨスクも同様に不向きかもしれません(一見、宝くじ販売員と似ていますが、時間帯によっては忙しすぎる上に、極めて臨機応変な対応を迫られる職業なので「将来簡単にロボットに置き換わらない職業」の1つと言えるかも知れません)。
※『この世界の片隅に』で象徴的に度々語られる旧・日本海軍の重巡洋艦「青葉」の艦名の由来は、「宮城県仙台の青葉(青葉城、青葉通り、青葉区など)」
ではなく、福井県の京都府寄りの日本海沿岸にそびえる「
青葉山(若狭富士)」です。