『美味しんぼ』は、東西新聞(架空の組織)のグルメオタク山岡さんを主人公にした、息の長いグルメ漫画ですが、「山岡さんが福島に行ったせいで鼻血が出た」との描写でもめたりと、いろいろと話題の尽きない漫画です。あえて「昔の漫画」と表記したのは、テレビアニメがとうの昔に終わってしまった、という視点からです。
『美味しんぼ』における「究極のメニューVS至高のメニュー」よろしく「究極の引きこもりVS至高の引きこもり」という対決は、いったい何を競うのか・・・。引きこもりの重度さを競っても、それこそ「ひきこもり新聞のネタにしかならない」ですが、外野から「人権無視」「引きこもりを笑いものにしている」との批判ブーメランを喰らうでしょうし、かといって「引きこもりだけれども凄い人」を取り上げれば、「引きこもりは弱者じゃないから保護や支援の必要なし」という方向へ行きかねません。このあたりはマスコミが障がい者を取り上げるときと似ている気もします。
多くの引きこもりは元々は凡人だと思いますし、引きこもってしまった事による能力低下などで一般社会人よりも凡人以下の能力になってしまっている場合も非常に多いだろう、という状況下で、「引きこもりは弱者じゃないから保護や支援の必要なし」などという方向に世論や政治が動いたら、多くの引きこもりは親が死んだら死亡という事になってしまうでしょう。
ひきこもり新聞の初代NK編集長、ひきこもり新聞の創刊のために、あちこちに声を掛けていたそうで、その利他的な部分のみを切り取れば「木村ナオヒロさんは平成の宮沢賢治」に見えなくも無いですが、ひきこもり新聞の創刊直後というジャスト・タイミングで、茨城県のつくば市議選挙に半ばコッソリ出馬していた事に思いを馳せると、「ひきこもり新聞作りませんか!」との熱心な声掛けも「しょせん政治家を目指すための売名行為だったのか?」などと思えてしまい、そうなると「平成の宮沢賢治」ではなく「平成の
宮本顕治」(政治活動上で「ヤンキーじみた武勇伝」を持つ2007年に没した共産党の大物議員)か?などと言う皮肉を思いついたりも、してしまいます。