「10秒で泣ける」と評判の吉谷光平先生の4コマ漫画「ひきこもり」のパロディ4コマです。
確かに、元ネタは「10秒で泣け」ます。しかし、上記漫画を製作中に「読者を泣かすというのは吉谷先生の熟練したテクニックの産物」によるものと思われ、「ひきこもりの解決に役立つのか」は微妙だと思いました。吉谷光平先生が悪いのではなく、「10秒で泣けさえすれば、後は野と成れ山と成れ」という論理が見え隠れする出版社の側に問題があるように思います。
怖いのは、「10秒で泣ける」漫画を読んで、「自分は心が優しい人」という「免罪符」を手に入れた「勘違いした人々」が、平然と引きこもり中傷に走る可能性です。
どうしても経済至上主義では「売らんかな主義」を誘発し、その消費喚起が無いと現在の経済システムは回らないのだと思います。例えば「この春は○○の服が流行する」というのもソレです。
しかし
「感動」まで消費物とみなされる世の中は、何か怖い気がします。
冷静に考えてみると、吉谷光平先生の4コマ漫画「ひきこもり」は、親しい人が突然「ひきこもり」になってしまった場合の友人の対処法とも解釈でき、つまり、吉谷光平先生の4コマ漫画の手法が通じるのは友人間かつ引きこもり期間が短い場合と言えるでしょう。この頃話題になっている「長期化・高齢化した引きこもりを支援する」場合に、そのまま吉谷光平先生の漫画ストーリーを転用すると、「ニコニコ笑いながら相手の心に土足で踏み込む」結果となり、支援するはずだった引きこもり本人を自傷行為・他害行為へ追い詰める危険性も感じます。
さて、元ネタである吉谷光平先生の4コマ漫画「ひきこもり」を知ったの最近流行りの「キュレーション・サイト(まとめサイト、検索代行サイト)」で知ったのですが、これは「暴力的な引き出し業者を、正義のヒーローのように報道した『テレビタックル』は問題がある」と糾弾して、精神科医の斎藤環氏らが記者会見を開き、BPOに審査を依頼した「ワンステップ伊藤学校」の話題と共に吉谷光平先生の4コマ漫画「ひきこもり」が紹介されていました。
上記4コマ漫画の「絶望編」は「暴力的な引きこもり支援業者」への皮肉、「希望?編」は「穏健な団体」への皮肉です。
さて、伊○学校の幹部方と、同様の手法による引きこもり支援団体を好意的に報道する風潮への批判の砦として創刊された「ひ○こもり新聞」の初代編集長は「頭頂部の形」が似てる事が気になります。個人的にリサーチした範囲では、「そのような頭頂部の形」の支援者というのは、あまり評判が宜しくないというジンクスを個人的に導き出しました。その科学的根拠が皆無な不安を、本作の引きこもりパロディ4コマ漫画に投影されております。まぁしょせんキチピーが描いた漫画ですので(笑)
上記のパロディ漫画では、「テレビのワイドショーなどで取り上げられる、引きこもりを恫喝して引っ張り出す暴力的な支援業者」のみならず、「(自称)穏健な引きこもり支援団体」をも皮肉っています。
この頃は「
ひきこもり支援の専門家を養成するのは面倒で金も掛かるので、
素人に支援を丸投げする為のお役所の口実」という、
極めて不純な動機で「ピアサポート」が、もてはやされているのが心配です。
引きこもりに引きこもりは救えるのか?・・・たとえ元・引きこもりでも、ピアサポーター本人がある程度、ピアサポーター自身が己の心の問題を解決していないと無自覚に精神的な暴力を振るうでしょう。しかし、対外的には「暴力的な支援業者とは逆方向の自称・穏健な支援方法」ですから、問題が中々明るみに出ない危険性があり、問題が放置され続けてから噴出したときは相応に悲惨な状況に至るかも知れません。
サポート対象の引きこもりが、ピアサポーターの精神的暴力に傷つき、ちょっと暴れたり、自殺企図をすれば、精神保健法改正で要件が緩和される「措置入院」の対象にされ、「暴力的な支援業者が生ぬるく見えるほど過酷な閉鎖病棟・隔離病棟に強制入院させられる」事態にも発展しかねません。「暴力的な支援業者を頼らない」という一見堅実な選択として「ピアサポーター」を頼った結果が、「暴力的な支援業者よりも悲惨な結果を招く」のでは目も当てられません。
引きこもりの気持ちは引きこもりにしか分からないのか?・・・そういう部分もあるでしょうが、それは主に「引きこもり『あるある話』」レベルの共感に必要な能力で、本当の信頼関係を築くのはまた別の能力で、それは引きこもり経験を問わずに人間性レベルの領域でしょう。
自身の引きこもり経験を売りにし過ぎるピアサポーターは、
ひきこもり問題には関心が無いけれども「肉体労働よりも効率よく稼げるなら美味しい」「人間的な器・能力に欠けても『人の上に立てる仕事』をしてみたい」などという
浅ましい気持ちで引きこもり支援に参入する人々と残念ながら同レベルだと思います。
「ひきこもり新聞」と「ピアサポート思想」は大変仲が良いようですが、ピアサポート思想は何の思慮も無く突き進むと「戸塚ヨットスクール」等の「経験主義・実践主義」と段々同じになっていき、皮肉な事に「ひきこもり新聞」の政敵にして、抗う為の創刊動機である「暴力的な支援団体」等と同じ暗黒面に「ひきこもり新聞」「ピアサポート」は没してしまう危険性を孕んでおり、そのリスクから「ひきこもり新聞」や「ピアサポート」の人々は「あらゆる引きこもり(特に元ひきこもりが行うピアサポート活動)への批判は不毛」と言いながら必死に目を背けているような気がしてなりません。
批判を頑として受け入れず、ニコニコ笑いながら精神的暴力への道を突き進む様子は、宗教カルト・政治カルト団体との差異を確実に埋め・縮めていく残念な過程でもある気もします。